時代と自宅死(孤独死)

2021年10月23日

病院でみんなにみとられて亡くなることがスタンダードだったが誰もがそのように最期を迎えられるわけではない。

亡くなった後、一定期間誰にも発見されないまま住んでいる部屋で亡くなっている自宅死(孤独死)も少なくない。

自宅でひとりで亡くなっていても早期に発見されるのであればこれからの時代は安心して死ねる。

高齢化社会~超高齢化社会になってますます人口が減っていく日本で、誰にもみとられないで亡くなる死に方も増えていくと思う。

遺品整理人ライセンス

遺品整理人:山本 純一

遺品整理専門業として年間700件を超す現場を担当している。

遺品を見つめ、逆算して故人の人生を考える。

どのように暮らしてきたか、人生がどのようだったのか、

現代の人に先人の人生の知恵を伝えていけたらと思っています。

家で最期は死にたい

「死ぬときは住み慣れた家で死にたい」おおくの人がそのような願望を内に秘めて人生を生きている。

しかし、病院でみんなにみとられて亡くなることがスタンダードと思われているがみんながそのような死に方をするわけではない。誰にもみとられずひとりで一定期間発見されず亡くなっている孤独死(以下自宅死という)ひとはそのような死に方をするのは、やっこさんは孤独だったからや孤立していたからなどと言うがそれは傍からみた妄想に過ぎない。

 わたしは、二十二年前に自分の孫のように接してくれたとなりのおばあさんが、むかしでいう脳溢血(のういっけつ)で自宅の廊下でぽっくり亡くなっていて子供は悲しみが深く遺品整理をすることができないので手伝ったのがきっかけとなり遺品整理専門業を創業した。そのころからひとりでなくなってしまうひとはどこかに存在していて家族の連絡もとっていたのだが急に亡くなることは誰にでもあることだということを知っていただきたい。

 孤独だったから孤立していたからなどと言うことはこれまでいろんな自宅死の現場を経験してきて天涯孤独という人はほぼない。

むしろ急激な発作で亡くなる人がほとんどである。心筋梗塞であったり、脳梗塞であったり、糖尿病の低血糖などほとんどがそのような発作が原因で発見されないまま亡くなっているケースが現実である。高度成長期の日本であれば家庭を守る主婦がいたとおもうが、現在では女性が社会で活躍する時代で異変に気付く可能性が低くなっている。

 もちろん女性が家庭をまもらなければいけないというのは古い考えではあるがそれに伴って時代も進化しなければならない。結婚していてもどちらかが先立てばひとり暮らしになって自宅死をする可能性は高くなるわけですので互いに支えあう時代になってきたのだろう。家族でなくても近隣が見守るといったことが重要になってくるように自治会長などが率先して地域のひとと連絡をとったり出向いたりするフットワークが必要であると考える。いままでは待ちであっただろう姿勢から向かうということ。

 いずれひとは死ぬ、自宅死をしたひとの近隣の声を聴くと「わたしも住み慣れた家で死ぬのは理想だ」と答えた。なぜならば、闘病生活で同じ苦しみを味わうのならば病院で管だらけになって最期を迎えるまで延命されて苦痛を強いられるのは嫌だからという。ならば家で延命されずに自然に最期を迎えたい願望があるという。

 しかし、家でそのような最期を迎えたとしても早期に発見されたいというのは皆同じだった。アナログからデジタルの時代に移っても唯一変わらないのはひととの支えである。家で亡くなっても近隣の発見と通報は必要になるので安心して家で死ねる社会は人が亡くなっていても早期に発見して通報できる社会を作っていかなければ実現ができないだろうと思う。これからデジタルの時代に二千二十五年には七十歳以上の独身高齢者が762万人になるといわれているがその多くの人は昔に結婚していたということをわすれてはならない。そして、自宅死がどのくらいふえていくのだろうということが懸念され発見までの期間短縮装置の開発がひつようになる。

-孤独死の特殊清掃