◆ 結論(まさか自分の身内に孤独死が起きるなんて想像もしていなかった。)
- 自分の身にいつ起きるかわからない孤独死という最後。
- 連絡を取っていた身内が、最後は孤独死という死に方で終わった。
みまもりや地域とのつながりが孤独死防止の対策として考えられている昨今で、いまもどこかで息を引き取ってしまっている孤独死は少なからず存在する。
それは、内側からカギを掛けられる浴室・トイレなどで「死神の一撃」を食らってしまう瞬間だと思う。いくらみまもりや地域との交流をしていても密室ではわからないこと。
上記にあげた2つの例は孤独死の物件で親族によく聞くことばです。
◆説明1自分の身にいつおきるかわからない孤独死という最後
もし、今日があなたにとって最後の1日だとしたらどうしますか?
ですが、そのくらい、いつ、だれが、どこで孤独死をするかわからない時代になっています。
自分の体のことは自分が一番知っているという神話はもう存在しないものなのか。知っていても孤独死をしてしまう背景はどのようなものがあるのでしょうか。
- くも膜下出血
- 心筋梗塞
- 大動脈解離
その中でも、一番多いのが心筋梗塞の死亡です。短時間で無くなってしまう方は、
仕事中、歩行中、乗車中、テレビを観ているときなどの安静時、用便中あるいはその直後、就寝中(まれに性行為中)に突然倒れて意識消失(失神)し、反応が無い状態となります。時として甲高い鼾や悲鳴のようなうめきを2、3回発したり、口から白色、時にはピンク調の泡を出すこともあります。
甲高い鼾は、心停止による脳虚血により舌がのどに落ち込むため、終末呼吸が鼾のように聞こえるのです。ちなみに脳出血(脳溢血)では鼾が長く続きます。口から泡を出すのは急性左心不全による肺水腫のために起こります。
東京監察医務院から抜粋
◆説明2 連絡を取っていた身内が、最後は孤独死という死に方で終わった。
この間の親族の集まりではなにもからだの調子が悪いことは言っていなかったが、「まさか、身内で孤独死が起きるなんて思ってもみなかった」
高齢で一人暮らしをしていたが心配で電話は一か月に一度くらいはしていた。だけれど近所のひとがいたのでなかば、おまかせしてしまっている状態で日常生活を送っていました。
だけど、発見されたのは死亡してから1週間後のことで近所付き合いというのは時としてなんのいみもないことになってしまうんだと・・・
誰もが、メッセージ機能の付いた携帯電話を使っていると思いますが、そのメッセージというのは文字だけが画面に映るだけのことです。その文字は「感情」を伝えてくれることではありません。絵文字で感情はつけられたとしても、実際の声のトーンがわかりません。
みとり覚悟で病床で暮らしている方も、見舞いに来てくれた方に精いっぱい自分の弱いところを見せられず応える努力をしています。体には管がついていて見るにたえない姿でも振舞っている方がほどんどです。
それとおなじようにして、文字だけのコミュニケーションは大丈夫じゃないけれど心配かけないように大丈夫と送っていれば相手は緊急性の心配はないのですから、文字だけで様子をうかがうのは困難になるでしょうし、心臓発作が発生してしまったら?助かる時間は7分とも言われています。
突発性の病気で亡くなって、近所の人が気付くとしても少し日数が掛かってしまうと思います。2~3日は様子をみて、窓にカギがかかっていなければすぐ見つかる可能性はありますが、掛かっていない場合は、よほど見かけなくなって異変に気付くまで1週間くらいは過ぎていってしまいます。
◆説明3 密室で起きる孤独死は発見に期間が掛かる
トイレやお風呂で起きる孤独死は、発生から日数が経過しないとわからないケースがあります。なぜならば部屋で倒れたならば部屋内の空気が充満し拡散されるまでそれほど期間は要さないと思いますが、部屋の中にもう一つ扉があり内側からカギがかけられるトイレやお風呂は腐敗が進行してから臭いが拡散されるまで期間を要す場合があるのです。
だれもが、トイレやお風呂に入るときドアを開けっぱなしにして入る方はそれほど多くはないと思うのですが、カギがかけられる密室の中では、いきんだ瞬間に大動脈解離などの突発的な状態におちいることもありますので十分な注意が必要となります。
大動脈解離は、古くなった血管が破裂し救命で運ばれても病院に着くまでに50%の方が亡くなってしまう致死率の高い事案です。
http://www.ncvc.go.jp/hospital/pub/knowledge/disease/aortic-aneurysm_dissection.html#sec4
国立循環器病研究センターから抜粋
◆説明4 今回のトイレでの孤独死のミニチュアの作成について
孤独死(自宅死)は部屋で亡くなることが想像されると思いますが、トイレで亡くなるケースということは少なくありません。
なぜならば、突発的に起きる孤独死はいつ、だれが、どこで、そうなる予想外の出来事だからです。今回のトイレでの孤独死は、排便をする際にいきんだことによる特発性心筋症が死亡原因として濃厚になっていました。
病気をわずらっていない方が、孤独死におちいってしまった特発性心筋症をお伝えしたかったのでミニチュアを作成し、誰にでも起きてしまうことの重大性を知っていただくために記事も書いています。
このミニチュアは、実際の画像と共に2018年のエンディング産業展に展示させていただいた一部です。
トイレの中で亡くなった孤独死の背景とは
家の中は雑然とした状況の中、トイレに目を向けると便器の中にはおびただしいほどの血液が大量に付着し、最後まで助けを呼べずに苦しんでなくなってしまったのだろうと思う現場でした。
ここは、松戸の団地。
死後1週間以上はたってしまっているだろうトイレでの最後、私たちはふと自分たちに置き換えて考えた。
もし、玄関のドアに鍵が掛かっていてそしてトイレのカギを閉めて、そこで亡くなることがあったら発見されるまでにどのくらい期間がかかるのだろうか。
知り合いも友人も隣人も、少し様子をみてそれから不思議に思い何らかの連絡手段を取ろうとするかもしれないがそのころには日数が過ぎてしまいかんたんに1週間という月日は流れていってしまうのではないか?
そして、起きてしまった「特発性心筋症」
本人の意識ないままトイレで倒れ、同居人がいるならば時間の経過で気にすることはあるかもしれませんが、一人暮らしのかたが突発的なことで閉じ込められたらそれを知る方法はどのようなことがあるのでしょうか。
一人暮らしで特発性心筋症を引き起こし、気を失ってしまったら自分で救急を呼ぶことはまずできないでしょう。そして、部屋のまどが少しでも開いていれば近所の方も臭いなどで気付けることはできると思いますが、そのほか密室状態であれば次の日に発見されることは本当にレアケースとなってしまうでしょう。
ヘルパーの方が部屋に行く予定であれば、発見は早くなるかもしれませんが介助などを必要としない方が突発的なことで亡くなってしまう場合には期間が掛かってしまうと思います。
今回の、トイレでの孤独死のミニチュアはそんな発見までの期間が掛かってしまうケースもあります。ということをお伝えできればと思い実際の現場を再現し、作成いたしました。
身内はいたの?どうやって孤独死を気づけたの?
今回の事案では、1ヶ月に1度くらいは部屋に訪れていた身内の方はいらっしゃいました。階段が急な団地でもあり高齢の方が上り下りするのには決して楽ではありません。
こまめに連絡もしていたのですが、出たり出なかったりでなかなか状況を知り得ることはできませんでした。
連絡しても出なかった日もありますが、2週間後くらいに電話をすると出たり、あまりつながらない日があっても次回は繋がるだろうと思っていました。
しかし、それが発見されない期間ともなってしまいました。
連絡してもつながらず、日にちを置いて電話しようと思っていたが近所では、
- 最近姿を見なくなった・・・
- ドアを叩いたけど反応がない・・・
- 異臭がするようになっってきた・・・
など、気付く要素はあったにもかかわらず誰も警察などに連絡することはなかった。
身内の方が、しばらくして部屋に訪れた時にはトイレでなくなっている姿があったということ。
警察に連絡し、突然死か事件性があるかの両方で検分が行われたが部屋のものも荒らされてはおらず特に事件性はないと判断されたという。
住宅が密集している団地に置いてなぜ、コミュニケーションが破綻しているのか。それは、本当に心配していない機械的な見守り活動が監視として窮屈に感じてしまいコミュニケーションをとりたくなくなってしまうこともあると住民の方が話していたことが印象的でした。
決して故人もコミュニケーションを、みずから絶っていたわけでもなく皆さん同様に暮らしていたようでしたと。
ただ、突然に起きる発作は外部からは気づきにくいことがわかるのではないでしょうか。
病院では、ベッドに救急ボタンが設置してありますが一般のご家庭に設置してあることはほぼ、多くないと思います。
故人も、いきばった瞬間にそのような状況になるのは思いもよらなかったと思う。誰しもがいつ起きるかわからない、3人に1人は血管の病気で命を落としています。
20代の人が1日タバコを1箱吸い、ラーメンばかり食べる生活をしていると血液はドロドロになり心筋梗塞へのカウントダウンが始まってしまいますのでご注意ください。
現場の状況はどのようなものだったのか
故人が亡くなっていたのはトイレの中。
便座に座った状態で、心臓の機能がストップしてしまったことによる死亡とされる。死後便座に座っていた状態から前にずり落ち、便器が背もたれになるかのように床に座って誰にも気付かれることなく孤独死となった。
便器には血だまりが出来ていて、床には肉片が腐敗し黒ずんでしまっている。最後は必死だったのであろうトイレットロールをむしったペーパーの破片が落ちていました。
床はジュータン調でできていたので張り替えが必要になるが、その際に床下に染み込んでしまった体液などを洗浄しなければならない。
便器もかなりの出血と肉片がこびりついてしまった状態で便器ごと交換しなければ次の人に部屋を貸すことが困難になる状態。
一度臭いを吸い込んだ鼻は、あまりにも強烈なにおいで機能が停止してしまうほど臭いに関してどんかんになってしまう。
腐敗してしまった臭い、死臭というものは10分もしないうちに衣類に吸い付き自分では臭っていないと思っていても他人からしたら異臭に感じてしまう。
腐敗したトイレにはたくさんの大腸菌も発生し、それが強力な菌として発達すれば「O-157」のような危険な菌になることもある。
孤独死の案件は早急な対処が求められるので、そのままの状態にしておいて特になることはない。
しかし、問題が生じる。
便器も床もそのままの状態で、「はい、交換」とはいかない。職人は縁起で商売をする人が多い。
むかしの職人は、なんでもやってくれる職人が多かったのだが現在の職人は縁起が悪いこととして請け負ってくれるケースが少ないのが現実です。
ですので、可能な限り私たちできれいにして便器や床のとりはずしも行い、臭いもとり消毒をしてからすぐ取り付けられる状態で職人に依頼するケースが大半となる。
なんで、こんな世の中になってしまったのだろうと思いながら人情があり頼もしい職人を思い浮かべたりもするがその人情のある職人も高齢になっていたりいまはもうこの世の中に居なかったりもする。
もちろん、故人も遺族もオーナーも誰のせいでもない。突発的な現象からはだれもなにもできないのだから助けることはできない。ただ、原状回復として遺族の誠意が求められる。
将来はますます在宅医療が求められる時代になる
孤独死に至る原因として、周りとのコミュニケーション不足が定義になりつつあるが、もう一つの観点で私たちがお伝えしたいことは、「在宅医療」が今後孤独死を少なくしていくためにも可能性があると思います。
みなさんは、病気にかかったらすぐに病院にいったりしますか?
病院にはさまざまなひとが体の不調を訴えて訪れます。ですが、ぎりぎりまで様子をみて病院にかかろうと言ってみると内科では予約で診察できない、外科では6時間待ちなど大きな病院ですとそれ以上に待つ必要があります。
そこには、本当に不調の方もいれば軽度の不調のかたも入り混じっていて重度の不調のかたであれば到底待つことはできないと思います。
ですので、緊急で掛かったりなど悪循環も発生してしまうのです。普段に薬をもらいに病院へ出向いてもイスにすわったまま何時間もテレビなどを見て時間が過ぎていってしまいます。
高齢者であればその薬をもらいに行くだけでも一苦労になってしまいます。
また、時間が掛かるのならば病院へ行くことという足は遠のいていくばかりでしょう。やがて満足に処置薬ももらえないまま最後を迎えてしまうことも少なくはありません。
そのような日常をのぞいてみて私たち専門家が思うことは、在宅医療の発展が望ましいとも思っています。
- 入院したままではなく我が家に帰りたい
- 最後の日は我が家で迎えたい
- 家族みんなと一緒に居たい
- そばで寄り添っていてあげたい
- 親が過ごした家で見送ってあげたい
そういった家族の思いを汲み取れる社会が今後に必要になってくるのではないだろうかと孤独死から見えてくる実情としてみなさんにお伝えしたい私たち専門家からの思いです。
孤独死を問題として取り上げる方たちへ
「孤独死は問題」「見守り団体」「遠隔監視」など孤独死に関連することでいろいろなことが発信されておりますが、そのようなことは相手の立場で考えている事ではないような気がします。
孤独死は問題という方もいらっしゃいますが、孤独死をしてしまうことは問題ではありません。少なからず現代よりも前に孤独死という誰にも看取られず亡くなっている方は存在しましたので。
にわかの知識だけで孤独死は問題という方が少なくありませんので、実際に何が問題なのかをはっきり申し上げますと、「孤独死をして、日数が経過して見つかること」が問題なのです。
そこには、日数が経過しなくても誰かしらが気付いているはず、もしくは気付いていたけれど発見者になりたくないという身勝手な気持ちがあり発見が遅れてしまっている現状があること。
- 孤立死とは
地域社会との繋がりを持たない状態で死に、死亡した事実が長期間誰にも気付かれなかった、という状態を指す語。「孤独死」と共に用いられる表現。
- 孤独死とは
「孤独死」は、誰にも看取られずに死ぬことを指す。典型的な例として、独り暮らしで近所づきあいのない老人がひっそり死ぬ場合などがある。ただし、独り暮らしではなく家族暮らしであっても、社会的に孤立しており周囲に気付かれないまま死に、長期間が経過する場合がある。そうした場合などに「孤立死」の語が用いられることがある。
- 自宅死とは
遺品整理クリーンサービスでは、上記の前者と後者の表現は孤立や孤独といった本当にさびしい表現にならないように「自宅死」と言葉を作りました。
自宅死は、孤立や孤独の死であっても誰にでも死ということはやってくることであり、
- 入院したままではなく我が家に帰りたい
- 最後の日は我が家で迎えたい
- 家族みんなと一緒に居たい
- そばで寄り添っていてあげたい
- 親が過ごした家で見送ってあげたい
と、いった思いを持った方が多いことに気付きました。第三者的には孤立死や孤独死と言われてしまうことに疑問を持ち、故人への尊厳があった死でもよいと思うこと。
遺族に話を聞いても、病院で管だらけで看取られるよりも自宅でぽっくり逝きたいという意見が多かったことを、遺品整理と孤独死の専門家としてお伝えできればと思っています。
トイレでの孤独死のミニチュアは、2018年8月東京ビッグサイトで行われたエンディング産業展で遺品整理クリーンサービスが自社のブースで展示しました。
実際の画像を交え、孤独死で亡くなっている現状とどのような現場なのかそして、見つかるまでの期間や早期発見にいたるまでの知識などをお伝えいたしました。
「明日は我が身」かもしれないことをみなさんに知っていただく良い機会になり、「とてもひとごとではなくなった」というご意見もいただきました。この活動が今後に生かされ安心して最後を迎えられるような社会づくりに貢献できればと思っています。